自分で計画を立てる、ブロックアワー 〜大日向小学校体験記5〜

2019年10月29日

近谷純子 2019年12月執筆

自分の、勉強

ブロックアワー。カタカナでなんのことやら?だが、いわゆる教科学習の時間で、なかでも国語・算数・理科・社会は子どもたち自身で計画を立てて勉強する「自学自習」であり、そのほか、英語・体育・音楽・図工・家庭科は、わりと”ふつう”に授業がある(もちろん中身は工夫されている)。

基本的に午前中に2回あるブロックアワーと呼ばれる時間。1回1時間半は、子どもに言わせれば、かなり長いらしい。ただし、すべてが必ずしも1時間半通しなわけではなく、例えば、2回目(10:45-12:15)のブロックアワーの前半部分は体育などということもある。図工や家庭科などは、逆に1時間半なんてあっという間だ。

国算理社の「自学自習」について。

肝は、自分で計画を立てる、というところにあるのだろう。

大学入試に向けた受験勉強みたいなものだなあと思ったこともある。自分に必要な勉強のために、自分で計画を立て、実際に勉強を進めるって相当むずかしい話だ(深夜ラジオに聞き入り、計画どおりに勉強できなかった経験なんて山ほどある)。まあ、受験勉強のように、参考書やドリルまでを自分で選ぶわけではないのだけれど(いや、自分もしくは親で用意している子もいる!)。

基本的な使用教材は、教科書、計算と漢字のドリル(6年生は理科も)、確認のためのタブレット教材、ショートテスト、最後に単元チェックのテスト。要するに、タブレット教材を除き、公立小学校で使われるものとほぼ同じ。

そして、単元ごとに「いつ頃までに学習しよう」というだいたいの目安があり、毎週月曜日の朝、それぞれが自分の空白のタイムテーブルに「算数 小数のなんとか 教科書p.10-15とドリル3」みたいに一週間分の計画をけっこう詳細に書き込み、それに取り組んでいく。

つまり、同じ時間・同じクラスルームにいても、学年が一緒でも、やっていることはみんなバラバラ。ときどき、「はい、4年生の算数、小数のなんとかをやります。誰々と、誰々と、誰々~」と呼ばれて、先生に単元内容を教えてもらうこともあるようだ。または、◯◯と◯◯はだいたいここまできてるから、理科の実験一緒にやろうか、と先生が誘い出してくれたり、それさっき誰々がちょうど理解してたよ、ちょっと聞いてごらん、と言った声がけがあったり。先生はとにかくみんなの様子を見ながら、声をかけてくれたり、ヒントをくれたり、一緒に解いたりしてくれるのだという。

子どもの仕出かし、親の忍耐

そんなにうまくいく? うまくいかないから大変なのだ。

一学期の終わり。あまりにピカピカの算数の教科書を持って帰ってきた息子(6年)に「教科書やったの?」と聞くと、「やった」と言う。「教科書の問題の答えはどこに書いたの?」「・・・」「ほんとにちゃんとやったの? わかったの?」「・・・」「めっちゃきれいやけど、教科書、読んだの?」「・・・。見た。」

教科書を「見た」って言われても……完全に力が抜けた。結局、一学期の算数は、夏休みにやった(そしてやれば終わるから不思議だ)。

また一学期だったかのあるとき。娘(4年。ちなみに結構しっかりしてる)が家に算数の一式を持って帰ってきて、終わらないから家でもやる、という。えらいね~(学校で終わらないのかという問題はここでは脇に置く)と言いながらその様子を横目に見ていると…… 教科書をパラパラ、ドリルをパラパラ、ショートテストをパラパラ。「これが問題少ないし、これからやろー」と言いながら、おもむろにショートテストからはじめようとする。ちょっと、ちょっと。案の定、すぐに「わからない~」と言いだす。

当たり前だ。「ねえ、教科書やったの?」「よくわからないからやってない」それでテストが解けるわけがない! よくよく話すと、教科書で内容を勉強する→計算ドリルで解き方の練習をする→理解できたかを確認するためにテスト、という流れを理解していない。

かなり驚いた。そっか、それって常識じゃないんだ…… 早く終わりそう、なんて理由でおもむろにテストから済ませようとするのが子どもなんだ……

我が子がまずこの有り様。ほかにも多種多様なことを仕出かす子たちがいるであろうことは容易に想像がつく。先生たち、どうやってフォローするんだろう……

それでも、できる子はいる。まずはそこに引っ張られていい方向に、というのが一つだろう。

あとは本人の気づき? 親も、相当の忍耐と度胸が必要とされているのは間違いない。

人は人、自分は自分

もちろん、各自が自分で決めて取り組むことには大きなメリットもある。

進度が違っても気にしない。人は人。自分は自分。これって、なかなか簡単に獲得できる感覚じゃない。

そしてそれぞれのペースで進めるので、学校を休んだ日があっても、さほど困らない。前の学校では高学年にもなると、例えばインフルエンザで数日間休んだりすると、一気に単元内容が進んでいてパニック、もう嫌だ、なんてこともあった。ここではそれがない。その部分での精神安定は、相当大きいと思う。

最後に。

先に書いたフクロウサークルのあと、「あー楽しかったー」と言いながら、各自の席に戻るその自然さ。

早ければ数秒後にはドリルを開いている子がいた。30秒後くらいに、鉛筆が動き始めている子もいた。驚愕した。

席に着いても、ニコニコのんびり、なんとなくしゃべっている子もいた。

ドリルを開くまでは早かったのに、そこからなかなか進まない子も、せっかくノートを開いたのに、また立ち上がって別のものを取りに行く子もいた。

ああ、仕事だ、と思った。

自分がオフィスで仕事をしていた日を思い出した。

外資系だったからか、明確に各自の仕事があり、そして自分自身は時間内に猛烈にやるほうだったけど、そうは言っても引き出し開けてお菓子食べてたなーとか、コーヒー入れにしょっちゅう席を立っている人がいたなーとか、エンジンかかるまで遅い人いたなー、とか。いろんなことを思い出した。でもまあ、なんだかんだで、それぞれがそれぞれの仕事を真剣にやっていた。

みんながんばって。世の中、なんとかなるようにできてるから。

でも、甘えないで、がんばって。

クラスルームの窓越しに子どもたちを見ながら、心の中でそうつぶやく自分がいる。きっと大丈夫。

次回、できればワールドオリエンテーションについて書きたい。

下学年のある日のブロックアワー。それぞれの課題に取り組んでいる。

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