日本一学校に呼ばれる芸人がつくる「お笑い×教育」の原点 〜お笑い芸人/オシエルズ 矢島ノブ雄さん・野村真之介さん〜
2020年7月30日
「どうもー!」「こんにちはー!」
取材時間になりビデオチャットを開くと、早速コントが始まったかのごとく、満面の笑みで明るく挨拶をするお笑い芸人「オシエルズ」。矢島ノブ雄さん、野村真之介さんのお二人です。
ともに眼鏡をかけて、地味めな印象。威勢のいいかけ声と、パッと明るい笑顔がなければ、芸人さんとは思えませんが…。実は、お二人はともに教育学部出身の“教師”でありながら“お笑い芸人”という、2つの顔を持つ異色のお笑いコンビなのです。
平日は教育関係の仕事をしながら全国の学校を回って講演を行い、週末はお笑いライブに出演という多忙な生活。彼らが目指しているのは「お笑いで日本中の学校からいじめをなくす」こと。
オシエルズ/お笑いコンビ
2013年3月に結成したお笑いコンビ。お笑いライブやMCだけでなく、企業や子どもを対象にしたワークショップ・講演・研修なども行っている。
矢島ノブ雄(写真左):1987年4月22日生まれ。東京都出身。FUNBEST代表。一般社団法人 日本即興コメディ協会 代表理事。著書に、笑いやその指導法を解説した「イラスト版子どものユーモア・スキル」がある。
野村真之介(写真右):1988年9月20日生まれ。鹿児島県出身。即興演劇を専門に学び、多くのワークショップでファシリテーション経験を持つ。
日本で最も学校に呼ばれるお笑い芸人
矢島:僕は現在、週1回大学の講師をしています。野村くんは、オンライン英会話の先生。平日の空いた時間を活かして、現在は小中高の学校を講演で回ったり、ワークショップを開催したりしています。
近年、教育の世界ではキャリア教育がとても求められていて、高校1年から自分の将来を考える授業が行われています。でも、ただ先生の話を聞くだけだと生徒たちも眠くなってしまう。そんなときが僕らの出番です。芸人なら台本通りやれるし、笑いも入れられ、しかもアドリブがきく。なので、高校から“進路漫才”を依頼されることも多くなっていますね。僕ら、日本で最も学校に呼ばれる芸人だと思いますよ。50分の講演と単独ライブを一緒にやっているような感じで、とてもやりがいを感じています。
コロナの自粛期間が明けた6月にも、いくつかの学校に呼ばれて講演に行きました。総合学習の時間、道徳の地区公開講座など、いろいろな場面に呼んでもらっています。
少年時代にいじめを経験、お笑いの道へ
―――お笑いを目指すきっかけは何だったのですか?
矢島:僕は小学4年生のときにいじめを経験しました。そのころ、僕の体重は今よりちょっと軽いぐらい……つまり、かなり体格が良かったんです。太っていることが嫌だったし、友達とのやり取りの中で容姿をからかわれて、つらい思いをしていました。
そんなとき、テレビでお笑い番組を見ていたら、太った芸人さんが出てきたんです。お笑いの世界では長所も短所も関係なく、むしろコンプレックスが武器になる。その事実に感動を覚えました。
それで勇気を出して、全校朝会で友達5人とお笑いをやったら、むちゃくちゃウケたんです。そこから、もっと賞賛を浴びたい、もっと承認されたいという気持ちが芽生え、お笑いの中毒症状に陥っていきました。
中学に入ってからはお笑いのネタを書いて、友人とコンビを組みました。当時の相方とは高1のときにM1の3回戦まで進んだこともあります。ある有名な芸人さんから「高校生でここまで来れたなら、一生懸命やってプロを目指したら?」とアドバイスを受けて、相方は吉本の養成所に進みました。でも、僕は教師になるという夢を捨てることができなかったんです。それで、教育とお笑いを両立する道を模索しました。
野村:僕も実は中学2年のときに、いじめとまではいかないまでも、人からからかわれるつらい時期がありました。それまでは優等生で、先生の言うこともきちんと聞き、生徒会長もやるタイプ。そんな僕を「うぜーな」「つまんねーよな」と言ってくる連中がいたんです。
友達はいました。けれど、僕が授業中に発言をすると、なんだかシラけた雰囲気になったりする。やっかむ連中の視線が痛かった。それを見返してやりたいと思っていました。そんなとき、自分もやってみようと思えたのが、当時テレビでずっと見ていたお笑いでした。
高校時代の野村さん
まずは小さな教室で、アンタッチャブルさんのネタを真似して友達と漫才をやってみたところ、これがめちゃくちゃウケたんです。なにしろプロの台本ですからね。
自分が作ったものではなかったけど、ドカンとウケたことで、世の中にこんなにおもしろいものがあるんだと気づかされました。自分もやっていておもしろいし、周りも笑ってくれる。ネタをやったあとに、初めて「自分はここにいていい」というエネルギーを浴びていることを実感したんです。
僕をいじめていた連中の目も、「真之介はやるときゃやるヤツなんだな」という感じで一目置かれるようになった。自信がついたんです。そこから、文化祭、遠足の帰り、ことあるごとにお笑いを披露するように……。大学に入学するとお笑いサークルを立ち上げて初代部長になり、プロになりたいと思うようになりました。
「お笑い×教育」の原点
―――コンビを結成することになったいきさつは?
矢島:大学時代に、教師を目指しつつも、教員採用試験に落ちたことで挫折を味わったんですね。でも、当時の教授に「これからは教師も専門性を問われる時代だから、矢島くんしかできないことを勉強したら?」というアドバイスをもらったことがきっかけで、その後“お笑いと教育”というテーマで研究を進め、教育学部の博士課程まで進みました。
野村:僕は、お笑い芸人の夢を諦められなかったんです。それで、就職はせず、卒業後は郵便局のアルバイトをしながらお笑い事務所のオーディションを受けていましたが、落ち続けました。そんなときに、矢島さんからコンビを組まないかと誘われたんですよ。2013年、矢島さんが25歳、僕が24歳のときでした。
―――そして、「オシエルズ」というコンビ名にしたんですね。
矢島:結成当時のコンビ名は「モクレン」。二人とも華がない風貌だから、せめてコンビ名は華のある名前にしたかったんです(笑)。でも、インターネットで「モクレン」と検索すると、おじいちゃんおばあちゃんの日記ブログしか出てこないんです。「今日散歩したらモクレンが咲いていた」みたいな(笑)。
コンビ結成から4年目に、「検索したら、どんな活動をしているかすぐに出てくるコンビ名に変えない?」となりました。
僕らは芸人になりたい一方で、当時から“教える仕事”にこだわりがあったんです。ネタも教育にこだわっているから、“オシエルズ”はどうかという話が出たんですよ。
野村:それはないでしょ、ダサすぎるでしょ……と最初は皆が思ったんですが、その15秒後に「意外とアリじゃない?」と。そうして、コンビ名が「オシエルズ」になったんです。
―――おっしゃるとおり、ネタには教育へのこだわりが感じられます。
矢島:台本は僕が考えています。僕らはもともと学校の先生。その専門性を活かしたネタを、と思っています。基本は大人が楽しんでくれるネタを考えていますが、その一方で子どもの知的欲求を喚起したいと思って考えているところがありますね。
子どもは大人が笑っていることに対して敏感なんです。大人がおもしろいと思っていることへのあこがれもある。だから、子どもにはちょっと難しくても、分からなかったら調べてもらうことでより楽しめるような、ギリギリの線を狙って台本を考えたりもしますよ。
取材・文/小澤 彩 編集/下田 和