歩み寄って、探り合う。ナージャさんが考える本当の「グローバル教育」 〜世界6カ国育ちのコピーライター キリーロバ・ナージャさん〜
2020年7月13日
(前回からの続き)
「グローバル」ってなに?
ーーーそれでは、「グローバル」についてお聞きしたいのですが、いまナージャさんが考える「グローバル教育」の定義はなんですか?
グローバルな世界って、いろんな個性や考え方を持った「個の集合体」ですよね。もちろん「日本と外国」というように理解しやすい分け方もできるけど、日本の中、もっと言うと学校のクラス、家族の中でも全然違う考え方をする人がいます。
でも、自分がどういう考え方をする人かというのは、意外と自分では分からないですよね。だから、まず自分のことを理解して、それを相手に伝える。その上で相手が何者かを知り、いかに歩み寄れるかを探り合うことが、本当の「グローバル」だと私は思っています。
語学はもちろん必要ですよ。でも、それは探り合うためのツールであって、目的ではありませんよね。「自分はこういう人間で、こういう立場だから、こう思う」というのがないと、語学ができても発言する内容がないから、相手と議論にならないんです。
自分を理解して、お互いを探り合って初めて「なるほど、そういう考え方もあるんだ」と分かってくる。そうやって価値観を広げていくことで、ようやく違う価値観の人と歩み寄ることができるんだと思います。そうすれば一気に仲良くなれるし、一緒に何かをやり遂げられるんじゃないかと思っているんですよね。
本当はそういうことがグローバルの本質なのかなと、いまは思っています。
ーーーそれは、ナージャさんご自身の経験と同じですね。
そうなんです。それは特にフランスで学びました。フランスでは、言葉が話せなくても自分の意見を言わなきゃいけないという価値観が強かったので、「これどう思う?」って聞かれて「どうも思いません」と答えるのは、どこの国よりもすごくネガティブなことでした。だから、私も自分が何者かを知ろうとして「うちって宗教とかあるんだっけ?」って母に聞いていましたね。
ロシアにいた頃のナージャさん
問題の裏にある問題を見れば、衝突は減る
ーーーいまのコロナウイルス関連のニュースを見ていると、少しの価値観の違いが大きなすれ違いを生むような場面が多い気がします。でもナージャさんのお話を踏まえると、それはコロナウイルス特有の話ではなくて、日常的にある問題が表面化しただけであるように思います。
こういう状況だと、皆何か主張したい気持ちはあると思うし、日本には価値観が似た人が多いから、自分とはちょっと違うだけで、その人がどういう人かを決めつけてしまう文化はたしかに多少あると思います。例えば、子どもが公園にいるだけで通報しちゃう人もいますよね。
でもそれは、お互いに状況を理解し合えないまま決めつけてしまっているとも言えると思います。子どもがなぜ公園に来たのかを想像できれば、外出自粛期間のいろんなリスクを踏まえた上で、「外出しないと精神的に辛いから」とか、そういう事情があるかもしれないと思えるはずなのに、すぐに「ルールを破ったらダメだろ」って走っちゃうのが多いですよね。それはちょっともったいないなと思います。
「公園に行くのは100%ダメだ」と言う人も、本当は「自分が感染嫌だ」とか、いろんな思いが根底にあると思うんです。だから、そこで「なんでこの人は怒っているんだろう」と考えると「本当はこれが嫌なんだろうな」って想像できますよね。
お互いに「どうすればこの人に分かってもらえるかな」と考えることによって、そういう衝突は減ると思います。「公園に行く」という表面だけを見るのではなくて、問題の裏にある問題も見ることができれば解決できる。皆がそれを想像できるようになればいいなと私は思いますね。
9歳の頃のナージャさん
ーーーナージャさん自身がそういう場面に出会ったら、どう対応していますか?
相手がよほど怒ってて議論どころじゃないときは、一方的に話を聞きますけど、ちょっと落ち着いたら「実は、私はこういう思いでやったんです」と歩み寄って、裏に眠っている本当の理由や感情を探るようにしています。
私には日本人とは違う常識がまだまだあるので、分からないことは正直に聞いてみますよ。最初は全然聞かずに「こういうことだろう」って勝手に推測してたんですけど、実は違うこともけっこうあるんですよね。
第一学院高校の「グローバルの授業」
ーーー以前、第一学院高校とコラボしてグローバル教育の授業を行ったそうですが、どんなことをやったか教えていただけますか?
もともと私は、さっき言ったように「グローバル=個の集合体」という考え方なので、そのときは海外とか語学ではなく、あえて日本にフォーカスした「グローバルの授業」をやったんです。
グローバルの授業は全部で2度やりました。2度目にやったときは全5回の授業でしたが、1回目は皆の常識の「タガ」を外すところから始めました。皆が当たり前だと思ってることは実はそうじゃないと分かってもらうために、まずいろんなクイズをやったんです。例えば「太陽の色は何色ですか」って聞くと、日本人はだいたい赤と答えますが、ほかの国だと全然違うんですよ。生徒の中にも全然違うことを答える人がいましたね。
2回目は、日本の各都道府県の違いにフォーカスしました。第一学院高校は通信制の高校なので全国にキャンパスがあるんですよ。皆リモートでモニター越しに授業を受けるんです。
例えば、「皆さんが思っている北海道の印象はなんですか? ほかの人に聞いてみましょう」と言うと、自分が思っていることと全然違ったということがけっこうあるんです。それを、なんで違うんだろうと皆で考えたりもしました。
3、4回目では、自分が住む県のことをほかの人に伝えるときに、どう伝えたら魅力的に思ってもらえるかを各キャンパスの人が考えて、「実はうちの県ってこんなすごいものがあるんだよ」というプレゼンを、他の県に住む人たちに対しても、海外に住む人たちに対してもしましたね。それって、自分の県を知らないとできませんよね。いままでなんとなく住んでいた自分の県を改めて調べないといけないので、新しい発見があるんですよ。
最終回は自分にフォーカスして、「自分はほかの人とはどう違って、どういう人間なんだろう」と深掘りするんですけど、初めに「自分をモノに例えたら何になるか」についてものすごい数を出すんです。例えば、魚とか文房具とかフルーツとか。それをやると、自分は派手なもの選ぶとか、シャイだから地味なのがいいとか、自分の傾向が絶対出るんです。そうやって自分を深掘りしていって、最後に「皆は私のことをこう思ってるけど、実はこういう人です」というプレゼンをしたんです。
自己分析に近いですが、そうやって自分を深掘りすると他人との違いが分かって、「じゃあ、この人と話すときはこういうふうに話した方が通じるな」と考えられるようになってくるんですよね。
授業をオンライン化すると、活躍する人がシフトする
ーーーいまはオンラインでの授業にも取り組まれているそうですが、どのような発見がありましたか?
オンラインのワークショップは本当に増えていて、子ども向けにはまだやったことないですが、大学生から社会人に対しては何度か経験があります。学校の先生からもお話を聞く機会が何度かありました。
一番おもしろいなと思ったのは、オンラインになると大人も子どももがいつもよりたくさん質問してくることです。日本で「質問ある人いますか?」って聞くと、だいたいシーンとなりますよね。でも、質問コーナーが全然終わらないこともあったし、普段は絶対に手を挙げなそうなタイプの人が質問してくることが増えたんです。
オンラインだと、同じ空間に皆がいなくて自分一人だから「誰も手を挙げないなら自分もいいや」とはならないし、リラックスして聞けるんですよね。特に若いデジタル世代の人には抵抗がないんだと思います。それに、オンラインだと一対一で向かい合うから、もしかしたら授業で寝ることもないのかもしれませんね。
そうやってオフラインとオンラインでは、同じワークショップでも目立つ人、活躍する人がシフトし始めてるなって、ちょっと感じてます。
ーーー空気を読む必要がなくなったからこそ、発言力とは違う能力が目立ち始めたんですね。
そうですね。うちの会社の新入社員にオンラインで研修したときも、そういう変化がありました。堅苦しくなく、SNSのように気軽に聞けちゃう雰囲気は良いと思いましたし、聞きながらネットで調べることもできて、広がりがあるのがすごくおもしろいと思いました。
だからこそ、オンラインのワークショップをやるときは、どうすればリアルの場では体験できないものになるか考える必要があると思っています。
世界最難関「ミネルバ大学」の表と裏
ーーーすべての授業がオンラインで行われる大学として「ミネルバ大学*1」が世界的に有名ですが、以前ナージャさんは、ミネルバ大学の学生を電通のインターンシップとして招致していましたよね。彼らはどのようなところが突出していましたか?
彼らはやっぱり優秀です。特にすごいのは、何を聞いても意見があって、反応がすごく早いんですよね。ミネルバ大学の授業はずっとモニタリングされていて、彼らがうなずいたり発言したりするタイミングや発言量で点数がつくんです。つまり、早く発言しないと点数がつかないので、課題に対して最短距離で素早く回答を出す力がものすごく鍛えられているんですよ。
世界最難関の大学の学生だけあって、他にもここは日本の学生や若手にはない能力だなあと思うことはたくさんありました。だから、最初は私に教えられることは何もないと思っていたのですが、彼らと接しているうちに、これなら教えられるかもと気づいたことが1つあります。
ミネルバ大学のカリキュラムは、学生が社会で活躍するために、4つのコンピテンシー*2を高めるように組まれています。その1つが「creative thinking(クリエイティブシンキング:創造的思考)」なんですけど、「クリエイティブシンキングってどうやって学んでるの?」って学生に聞いても、うまく答えられないんです。ミネルバ大学のシステムは、効率的に学んでいくのにはとても優れているんですが、全部の可能性を検証してから答えを出すような「クリエイティブ」を、彼らは意外とまだ体験していないんですよ。
ーーーどういうことですか?
例えば、彼らが自分のアイデアをプレゼンするとなると、それがおもしろいかどうかではなくて、いかに“正しい”かを、たくさんのエビデンスをつけて証明しようとするんです。それに対して私がつまらないと言うと、「なんでそれがつまらないって分かるんですか、データは何もないじゃないですか」と。「いや、そういう仕事をしてるんでだいたい分かります」って返しても、伝わらないんですよね。
クリエイティビティにおいては、たとえ正しくてもおもしろくなければ意味がない。だからコピーライターの仕事でも、スパッと行ける最短距離ではなく、100案くらい大量に考えて「これは本当に新しいのか、おもしろいのか」と、新入社員のときからいろんな可能性を検証するんです。
でも彼らはどちらかというと、この案が正しいというエビデンスを作る方に時間をかけていて、案自体のおもしろみにはあまりフォーカスしないんですよ。それはアカデミア(学術的な世界)の中でのクリエイティビティであって、いわゆるクリエイティブ産業の中のやり方とはちょっと違うと思うんですよね。
だから、ミネルバ大学のシステムはあくまでやり方の1つであって、必ずしも何事に対しても万能ではないのかなと。彼らに「間違っててもおもしろいことをやってみて」って言うと、「間違ってると、どうやってやるか分かりません……」って言うんですよ。与えられた課題を解く能力はものすごく高いけど、何でも良いからおもしろいと思う課題を自分で見つけてくれって言うと、固まるんです。
ーーーそれはすごく意外ですね。
そうそう。どちらが良い悪いということではなくて、そういう違いはありました。
素早く解ける力と、何もないところから苦しみも味わって生み出す力、両方が揃うと最強なんですけどね。だけど、どうすれば生み出せるようになるかはまだ体系化しづらいと思うんです。なんとなくガイドラインはあっても、自転車に乗るのと一緒で、なかなかメソッドに落とし込めませんよね。
もちろん、ミネルバ大学は素晴らしい学校だし、思いついた人は本当に天才です。学生はトップオブトップのめちゃくちゃ優秀な人たちだからこそ、こうしたシステムについていけるんだと思います。でも例えば、会議の途中までそんなに発言しなかった人が最後にポロッと言ったひと言で、いままでの流れが全部変わっちゃうこともありますよね。それはミネルバ大学のシステムだと生まれないと思います。私もそのタイプですけど、そういう人はついていけずに取り残されていくかもしれません。
ですから、オンラインが主流になってきたら、あまりしゃべってない子をいかに拾うかや、答えのない面白くて正しいことをどうじっくり生んでいくのかなど、そういうところにフォーカスする必要もあるのかなと思いますね。
*1 ベン・ネルソン氏が設立した実験的高等教育機関であるミネルバ・プロジェクト(Minerva Project)が2014年9月に開校した、アメリカを拠点とする全寮制の大学。特定のキャンパスは持たず、学生は1年次に住むサンフランシスコに始まり、ソウル、ハイデラバード、ベルリン、ブエノスアイレス、ロンドン、台北と4年間で世界7都市に移り住みながら、オンラインで授業を受講する。
*2 critical thinking(クリティカルシンキング:批判的思考)、creative thinking(クリエイティブシンキング:創造的思考)、effective communication(エフェクティブコミュニケーション:効果的なコミュニケーション)、effective interaction(エフェクティブインタラクション:効果的な交流)
取材・文/下田 和