才能なんて誰にもない。自分を微調整して能力を増やす 〜スーパーイノベーター 沼田尚志さん〜

2020年6月10日

(前回からの続き)

自分を微調整していく

ただ、いまでこそスーパーイノベーターの後に続く文脈や理由がたくさんできましたけど、最初のころは「スーパーイノベーター」って名乗るだけで終わってました。毎日飲み会をやってたら、そうなっただけ。戦略やビジョンは一切なかったです。

でも、何かが起こるだろうとは思ってた。その何かが起こったときに、どうやったら私は価値を発揮できるかみたいなことを考えていました。そのために自分を少しずつ微調整する。それにすごく喜びを感じるんです。場の状況は刻一刻と変わるから、いまここが弱いからこう振る舞おうっていうように、リアルタイムで盤面を動かしてる感じです。

ーーーそれは自分を知っていないとできないことですね。

そうですね。自分のことも、周りの人のことも知ってないといけない。だから、すごく人に対する興味があります。さっき言った「私のことを好きにならないわけがない」っていうのは、そういうこともあるんです。ほかの人が自分を知ろうとしてくれるの、うれしいじゃないですか。つまり、私は好意を抱いてるんだから、この人も好意を持ってくれるでしょ、みたいな。

分断された過去が与えた影響

他の人にこういう話をするのは初めてじゃないから、やろうと思えば皆できるはずなんですよ。明日から「スーパーイノベーターです」って言って、飲み会しまくればポジティブな変化が生じるはずなんですが、やらないのはなぜか。

皆、小さい頃から今に至るまで社会と分断されてないんですね。小学校や中学校、高校、大学の友だちがいて、ストーリーが繋がっている。

私は違う。今作っている友だちって、一緒に下校しないし、恋バナもしない。一緒に温泉旅行にも行かないです。もうそういうことをする枠は埋まってるんです。私は昔一回人生が終わりかけて、高校も通信制、大学生もひきこもっていたから、いわゆる青春時代の友だちがいないんですね。これだけは話せるっていう大事な友だちがいない。なので、必死です。皆もう大事な友だちがいるから、いまさら作りにはいかない。そんな状況の中でどう友だちになるか、すごく考えています。

 

誰にも才能なんてない

ーーー沼田さんは、自分を微調整していく中でどうやって自分の才能を見つけていったんですか?

正直、誰にも才能なんてないと思ってるんです。

「強みを伸ばす」ってよく言いますけど、そういうのは乱暴なことだと私は思っています。強みは「いま切り取ったらこれが強み」っていうのがあるだけで、それは普遍じゃない。

例えばですけど、今必要とされている能力が10年後も同じような市場価値として成り立ってるかどうかは分からない。AIに代替されて仕事として成り立たないかも知れない。なので、いま切り取ったものがこの瞬間に強みかどうかは判断できるけど、周りの環境は変わるんだから、ずっと強みであるわけがない。その能力があるというだけで、それが強みかどうかは環境次第ですよ。

微調整っていうのは、自分の能力を増やすイメージです。例えばトランプでも、どのゲームをしてるかによって強いカードは違ってきますよね。なので、自分にいろんなカードがあって、それをいつ、どう切るかが大事で、カード自体が強いかどうかっていうのはあんまり問題じゃないです。だから、強みっていってもどのルールの話なのかなってちょっと思います。就活とかもそうですよね。

「俺、超すごい。けど、あなたも超すごい」

才能なんてないって言いましたけど、逆に言えば、才能は皆にあると思ってます。

私、すごく好きな言葉があって、「俺、超すごい。けど、あなたも超すごい」。私の言葉なんですけどね。つまり、皆すごい。

でも、結果が出てる人と出てない人がいて、お給料も高い人と低い人がいるわけですよ。これはなんでかっていうと、才能がハマってないだけなんですよね。社会的な価値とリンクしてないだけ。錦織圭さんはテニスの才能があってテニスをやってるからあんなに称賛されるわけです。つまり、世の中で名を成してる人は、能力とやってることがマッチして、それが社会において価値あることだから、才能が開花したと言われるんです。

なので、才能は皆にあると思ってる。ただ、多くの人は今やってることが自分が持っている何かの才能に合ってないんです。

最初はカードを増やしておいた方がいい

ーーー自分がいまどのルール、どの文脈にいるかを踏まえて、どのカードを出すかを決めようということですね。

そう。だから、最初のうちはカードを増やしておいた方がいいんです。カードをいっぱい持ってると、次の手が打てたり、じゃあこのルールでゲームしようぜって、そのうち自分から言えるようになるんですよね。

ある程度大人になるとカードが揃ってくるので、その時にどのカードに注力すべきかを考えるんです。だからカードを増やす努力を怠らないほうがいい。若いうちは特にです。自分がどのカードで勝負するかは周囲の環境や時代と共に変わるんです。カードの数値を上げることも重要ですが、カード自体を増やすことが重要です。

人をつなげてイノベーションを生むっていうのも、最初からどうなるかが見えてたわけじゃない。そのとき、その市場において、価値が最大化するようにアクションしただけなんです。つまり、飲み会というカードを強くしていったら友達がどんどん増えて、テレビ局カードとかお医者さんカードとか、自分のカードじゃないけど使えるカードが増えていったんですね。市場価値が高いカードを持ったなという感じです。

障害カードは、誰も持っていないレアカード

障害も同じだと思ってます。障害を持ってる人は国民の7.4%なんですけど、7.4%って低い数値じゃないですよ。血液型のAB型が9%だから、そんなに変わらない。ですから障害を持ってる人は、障害なんて全然気にしなくていいんです。AB型の人が「俺、AB型なんだよ」って言わないじゃないですか。なのに、車椅子の人が通ると、すれ違う人は「あ、車椅子なんだ」って思う。それはやっぱおかしいなと思います。なので、障害に対する特別な思いもないし、途中からだろうが、最初から持っていようが、なんでもない。ただのカード、単なる事実に過ぎません。

同時に、7.4%だからマイノリティはマイノリティなんです。そして、マジョリティ側はマイノリティに対して、マイノリティが思ってる以上に「大変なんだろうな」っていろいろ想像しますよね。だって、自分たちは経験したことないから。

この間、会社のミーティングで「シェアサイクル」の話になったんです。日常にどれくらい浸透してるかとか、今後どういう展開にしようかみたいなミーティングを10人くらいでしていました。それで、私が話す番になって「私、自転車乗れないんですよね」って言ったら、沈黙が続いた。

実際に乗れないから、乗れない立場で話をするんですが、ビジネスである以上私の話には目をつぶってていいんです。でも、皆自分には想像もつかない話だから固唾を呑んで聞くんですよね。そのときの私のスペシャリティって、すごいですよ。

つまり、私にとって障害を持っていることは全然マイナスじゃなくて、すごいレアカードを持っているっていうプラスの話なんですね。ほかの誰も切れないカードを出せるってことだから。私はそこに乗っかってる感じです。マイノリティとして自分がいま持ってるカードに乗っかっといた方が、あとあと有利に進むなって。そのカードが障害なのかどうかは、少しの身長の違いとか、自分がもってるテレビのメーカーが何かと同じくらいどうでもいい。障害を特別扱いしないし、カードを切れるところでちゃんと切るって感じです。カードを増やすっていうのはそういうことです。

取材・文/下田 和

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